2010年09月11日

違和感の正体を考えた。


こちらのブログがめっきり更新滞っております。
「ムラアカリをゆく」は、たまーに更新しています。
あとは、ほとんどTwitterで発信しているので、
よければそちらをご覧いただけたら幸いです!

こっちのブログでは、
ふと思い浮かんだことを、
つぶやきより少しちゃんと残してみようかなと思っています。



最近、「社会(ソーシャル)」とか「環境」とか、
そういった言葉をよく耳にします。
ぼくも学生時代は、まさにそういうキーワードを熱く語り、
そのようなカテゴリーで括られることを喜んでいました。
「そっち系」の人だったと思う。

最近でも「地域活性化」なんていう言葉で認識していただいたり。
自分でもそのような言葉を通して伝えることが多いのですが、
でも、たまに違和感を覚えることがあります。

いま並べたキーワード、
「社会(ソーシャル)」「環境」「地域」などは
誰しもに共通して存在するテーマです。
テーマというよりは、多様な一人ひとりの人間が生きること、
そのものかもしれない。

ぼくは今、これらの言葉は同じことを
言ってるんじゃないかと思っている。

これらの言葉の中心には常に「人」がいる。
そして「人」とは、つまり「自分」のこと。

地域も社会も環境も、
これらが意味するところの本質は、
「自分」の周りに存在するモノ。
そして、それらをよくしようっていうのが
いま言われている流れの真の目的だと思う。

だから・・・
その中心にいるはずの「自分」と切り離されたものに
アプローチすることに違和感を感じるんだなと思った。

地域も社会も環境も、
自分からつながる延長線上に存在するものであるはずで、
それらを良くしたいと思うのであれば、
自分の触れる範囲から動き出して然るべきだと思うのです。

第三世界(自分とつながっていない世界という意味)への寄付行為で、
社会をよくするんです、というのにはどこか違和感を抱いてしまう。

その人が実感値を持って行う分にはいいけど、
それをあたかも正義のように勧められると
どう答えていいのか分からなくなってしまう。

たとえば、寄付した先の人は、そのお金によって
人間関係をこじらせたり争いが起こるかもしれない。
与える側と与えられる側の価値観が違えば、
どこの現場でも起こりうる(起こっている)話だと思う。

相手の価値観を理解することなしに
寄付する人は社会貢献してるんだ、
みたいな風潮にはちょっと違和感が残る。

ここからは以前に書いた通り。
地域活性化も、そのほかのことも、
自分の中では結構同じことかもしれない。

「地域活性化」の違和感


あと、冒頭に出した「そっち系」で
正論を語り合ってしまうことにも違和感を抱いていたりする。

それぞれの人が抱いていることに善悪も正しいも間違ってるも
判断する権利なんて誰にもないはずで、代表して意見することはできても
「専門家」なんてほんとはいないはずなんじゃないかって。


・・・以上。

ひょっとしたらいやな思いをさせてしまう人もいるかも・・・
気分を害されたらすみません。

あくまでぼくの一意見です。
みなさんはどう感じるんだろう。
posted by ともひ at 13:16| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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